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長唄「雨の五郎」歌詞と解説

日本舞踊で人気の長唄「雨の五郎」歌詞と解説です。

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長唄「雨の五郎」解説

曾我兄弟の仇討ち」で有名な、曾我時致(そがときむね)が主人公です。

曾我兄弟の弟である五郎(兄は十郎祐成(すけなり))が、鎌倉の遊女で恋人である、化粧坂(けわいざか)の少将の元へ、雨の中駆けつける様子が、仇討ちへの勇ましい心と交互に唄われています。

曾我兄弟の仇討ちは、「赤穂浪士」「鍵屋辻の決闘」とともに「日本三代仇討」と称されており、歌舞伎にも曾我兄弟を題材にした「曾我物」という一大ジャンルを生み出すほど数々の作品が作られ、人気を誇りました。

曾我兄弟の仇討ち物語のあらすじ

時代は鎌倉時代。武士の工藤祐経(すけつね)は、所領分割相続の争いに端を発し、恨みがあった親族・伊東祐親(すけちか)の嫡男・河津祐泰(かわづすけやす)を暗殺する。祐泰の遺児、一萬丸と箱王丸こそが、のちの十郎祐成と五郎時致の曾我兄弟である。

厳しい生活の中で成長した2人がついに仇討ちを果たすのは建久4年(1193年)。源頼朝御家人(部下)になっていた工藤祐経は、頼朝によって、富士の裾野で催された大規模な狩りに同伴していた。夜闇に紛れて祐経の寝所へ押し入った二人は酒に酔って寝ていた祐経を討つ。兄・十郎は集まってきた御家人たちと争いその場で討死、弟・五郎は頼朝の面前へ引き出され仇討ちの心情を述べた。頼朝は助命も考えたが、祐経の遺児を慮って、斬首を命じた。

仇討ちだけではなく十郎の恋人「大磯の虎御前」五郎の恋人「化粧坂の少将」の存在も、曾我兄弟人気の一つとなっている。

 

長唄「雨の五郎」歌詞

さるほどに 曽我の五郎時致は 倶不戴天の父の仇 討たんずものとたゆみなき
弥猛心も春雨に 濡れてくるわの化粧坂 名うてと聞きし少将の 雨の降る夜も雪の日も
通ひ通ひて大磯や 廓の諸分のほだされやすく誰に一筆 雁のつて 野暮な口説を返す書
粋な手管についのせられて 浮気な酒によひの月 晴れてよかろか 晴れぬがよいか
とかく霞むが春のくせ いで オオそれよ 我もまた いつか晴らさん父の仇 十八年の天つ風
いま吹き返す念力に 逃さじやらじと勇猛血気 そのありさまは牡丹花に つばさひらめく 胡蝶のごとく
勇ましくもまた 健気なり


藪の鴬 気ままに鳴ひて うらやましさの庭の梅 あれそよそよと春風が
浮名立たせに 吹き送る 堤のすみれ さぎ草は 露の情けに濡れた同士 色と恋との実くらべ
実 浮いた仲の町 よしやよし 孝勇無双のいさをしは 現人神と末の代も
恐れ崇めて今年また 花のお江戸の浅草に 開帳あるぞと賑しき

長唄「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」歌詞と解説

日本舞踊で人気の長唄「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」歌詞と解説です。

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元禄文化を代表する絵師で、浮世絵の祖ともいわれる、菱川師宣「上野花見の躰」より

「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」の解説

1600年代の後半、京・大坂の上方の町人を中心に華開いた元禄文化は、井原西鶴俳諧松尾芭蕉浄瑠璃近松門左衛門、画家の尾形光琳ら多くの文化人、芸術家を生みだしました。「元禄花見踊」は元禄時代を舞台に、武士、奴(やっこ)、若衆、遊女、町人などが、さまざまな風俗で集まり踊るという豪華な設定となっています。
当時、花見は一家総出の一大イベントで、特に女性は花見に合わせて晴着を用意する者も多く、その派手さ、豪華さ、趣向さを競ったものと思われます。
明治11年1878年)6月、市川団十郎、5世尾上菊五郎、初世市川左団次、8世岩井半四郎、市川小団次らによって、東京新富座にて初演されました。

「元禄花見踊(げんろくはなみおどり)」の歌詞

吾妻路(あづまじ)を 都の春に志賀山の 花見小袖の 縫箔も 華美(はで)をかまはぬ伊達染や
斧琴菊(よきこときく)の判じ物 思ひ思ひの出立栄
連れて着つれて行く袖も たんだ振れ振れ六尺袖の しかも鹿の子の岡崎女郎衆
裾に八つ橋染めても見たが ヤンレほんぼにさうかいな
そさま紫色も濃い ヤンレそんれはさうぢゃいな
手先揃へてざざんざの 音は浜松よんやさ
花と月とは どれが都の眺めやら
かつぎ眼深に北嵯峨御室 二條通の百足屋が 辛気こらした真紅の紐を
袖へ通して つなげや桜 ひんだ鹿の子の小袖幕
目にも綾ある 小袖の主の 顔を見たなら なほよかろ ヤンレそんれはへ
花見するとて 熊谷笠よ 飲むも熊谷 武蔵野でござれ
月に兎は和田酒盛の 黒い盃闇でも嬉し 腰に瓢箪 毛巾着
酔うて踊るが よいよいよいよいよいやさ
武蔵名物月のよい晩は をかだ鉢巻蝙蝠羽織 無反角鍔角内連れて
ととは手細に伏編笠で 踊れ踊れや 布搗く杵も 
小町踊の 伊達道具 よいよいよいよいよいやさ 面白や
入り来る入り来る桜時 永当東叡人の山 いやが上野の花盛り
皆清水の新舞台 賑はしかりける次第なり

長唄「羽根の禿(はねのかむろ)」歌詞と解説

日本舞踊で人気の長唄「羽根の禿(はねのかむろ)」歌詞と解説です。

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青楼十二時 戌の刻(喜多川歌麿)花魁と禿が描かれています。

「羽根の禿(はねのかむろ)」の解説

「禿(かむろ)」とは吉原に勤める子供のことで、将来、立派な花魁になるべく、花魁たちの身の回りの世話や小間使いに従事していた。
「羽根の禿」は、そんな禿がお正月に遊びの時間をもらい、羽根付をしている様子を描いたもので、いっぱしの花魁をしぐさをまねているのに、子供らしいあどけなさも表現するのが特徴です。

「羽根の禿(はねのかむろ)」の歌詞

恋の種 まきそめしより色と言ふ 
ことばはいづれ このさとに 誠こもりし一廓
丸い世界や粋の世に 嘘とは野暮のあやまりと 笑ふかむろのしほらしや 
かむろかむろと沢山さうに 言うてくだんすな
こちゃ花魁に 恋の初わけや手くだのわけも 
教えさんしたふでの綾 よう知ると 思はんせ
おお恥づかしや恥づかし しどけなりふり可愛らし

文がやりたや 彼の君さまへ 取りや違えて余の人にやるな 
はなの彼の様の サア花の彼の様の手に渡せ
朝のや六つから 六つから 上衣下衣ひっ重ね 
かむろは袖の振り始め つく 突く突くには羽根をつく
一い二う三い四お 五重に七重に

琴は十三十四十五 手はまおく
二十一い二う三い四お 見よなら 見よなら 
松をかざして梅の折枝それさ これさ それ好いた三味の手
梅は匂ひよ桜は花よ 梅は匂ひよ桜は花よ いつも眺めは富士の白雪

民謡「黒田節」歌詞と解説

日本舞踊で人気の民謡「黒田節」の歌詞と解説です。

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モデルとなった武将「母里友信(ぼりとものぶ)」の銅像(JR博多駅前)

「黒田節」の解説

筑前の大名で黒田官兵衛の長男、黒田長政の部下と、福島正則の酒席のエピソードを元にした福岡県民謡。

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福島正則は酒席で、黒田長政の使者として来ていた黒田家家臣・母里友信(ぼりとものぶ)に酒を大杯で勧めたが断られた(友信は家中でも有名な酒豪だったが、使者の役目柄断った)。しかし、「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」とさらに勧め、その上「黒田武士は酒に弱く酔えば何の役にも立たない」と罵倒した。家名を貶められた母里友信は、それならばと酒を見事に一気飲みし、褒美に秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望した。正則は狼狽したが、武士である以上前言を覆すことができず、不覚にも家宝の槍を呑み取られることになった。

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以上がその逸話ですが、これには続きがあり、秀吉の朝鮮出兵のときに母里友信は、このとき拝領した「日本号」をもって奮戦し、大いに武功をあげたということです。

福岡藩の武士たちのあいだでは、雅楽の「越天楽」のメロディーに合わせてさまざまな歌詞をあてはめて歌う「越天楽今様」というものが流行っており、この黒田節もそこから生まれたといわれています。

昭和初期の芸者歌手、赤坂小梅がレコード化(当時のタイトルは『黒田武士』)して全国的に有名になり、「黒田節の小梅か、小梅の黒田節か」と言われるほどのヒットとなりました。

「黒田節」の歌詞

酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲み取るほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士

峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒ひきとめて 聞くほどに
爪音頻き 想夫恋

古き都に 来てみれば
浅茅が原とぞ なりにける
月の光は くまなきて
秋風のみぞ 身にはしむ

端唄「萩桔梗(はぎききょう)」歌詞と解説

日本舞踊で人気の端唄「萩桔梗(はぎききょう)」の歌詞と解説です。

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「萩桔梗(はぎききょう)」の解説

玉章(たまづさ)とは手紙のこと。萩桔梗へ恋する男への手紙を忍ばせて、再び恋人と会えるのを待っています。秋の風物を詠みこみつつ仲秋の侘しさと切ない女心を重ね合わせています。

「萩桔梗(はぎききょう)」の解説

萩桔梗 中に玉章(たまづさ)忍ばせて 月に野末に 草の露
君を松虫 夜毎にすだく 更けゆく鐘に雁の声
恋はこうしたものかいな

波の瀬に 月は今宵も 影差せど 届く瀬のなき わが思い
あだし 仇波 寄せては返す 夢見る暇も 涙ぐむ
辛い浮世じゃ ないかいな

 

端唄「玉川(たまがわ)」歌詞と解説

日本舞踊で有名な端唄「玉川」の歌詞と解説です。

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端唄「玉川」の解説

玉川から引かれた水で産湯を使った事を誇る 江戸の女の恋を唄っています。
「思い出さずに」とは片時も忘れたことがない、という意味(『思い出す』ことは、一度忘れていないとできないことから、『思い出さずに』=『忘れたことがない』という意味になる)です。

「玉川」は江戸時代、多摩川から取水して、江戸市中を潤していました。東京都羽村市羽村取水堰」より、新宿大木戸まで水路をひき、江戸の町中へ日常用水を供給していました。いまは「玉川上水」として、当時の名残を見ることができます。

端唄「玉川」の解説

玉川の水に晒せし 雪の肌 積もる口説のその中に
とけし島田のもつれ髪 思い出さずに忘れずに
また来る春を 待つぞえ

 

民謡「おてもやん」歌詞と解説

日本舞踊で有名な民謡「おてもやん」の歌詞と解説です。

民謡「おてもやん」解説

熊本県民謡。「やん」は「さん」「ちゃん」のような愛称。「おてもやん」は地元の娘、富永チモをモデルに、その踊りと三味線の師匠であった永田イネによって作られたといわれています。「おチモやん」が訛って「おてもやん」となったのでしょうか。
おてもやん、最近嫁入りしたそうだね」「だけど周りの人が、旦那が疱瘡のようだからと、まだ杯は交わしていない、まあどうにかしてくれるでしょう」「実は、三つ山を越えたところに惚れた人がいるけれど、女の口からは言えません。彼岸で若者が集まるときにゆっくり話がしてみたい。」「人生、辛いこともあるけれどくよくよしてもしょうがない。覚悟を決めれば心も楽になるよ。」
顔も見ない相手と結婚することが当たり前の時代、心に秘めた人がいても自分の思うようにはできません。必ずしも思い通りにならないやるせなさを、陽気に笑い飛ばす強さの裏に哀愁を感じる一曲です。
1935年に芸者歌手、赤坂小梅のレコードでヒットしました。赤坂小梅は、当時人気だった歌手、市丸、勝太郎とともに「鶯芸者の三羽烏」と呼ばれ活躍しました。小梅は同じく九州民謡の「黒田節」でも知られています。

民謡「おてもやん」歌詞

一、
おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこつぁしたばってん ご亭どんがグジャッペだるけん
まぁだ盃はせんだった
村役 鳶役 肝煎りどん あん人たちのおらすけんで
あとはどうなっときゃあなろたい
川端町っつぁん きゃぁめぐろ
春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃぁて花盛り花盛り
ピーチクパーチク雲雀の子 げんばく茄子のいがいがどん

二、
一つ山越え も一つ山越え あの山越えて
私しゃあんたに惚れとるばい 
惚れとるばってん言われんたい
追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん
くまんどんのよじょもん詣りにゆるゆる話しもきゃぁしゅぅたい
男振りには惚れんばな
煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい
アカチャカ ベッチャカ チャカチャカ チャー

三、
一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて
男度胸でおいでなさい くよくよしたとてしょうがない
何時か目も出る花も咲く
移り気な浮き世のならいに 取り越し苦労はおやめなさい
悩みなんぞはこちゃ知らぬ
意地と張りの心が それが後生楽たい
アカチャカ ベッチャカ チャカチャカ チャー